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「落合楼」との出会い

落合楼村上

塩川:伊東の旅館での6年間が村上社長の中で成熟していく過程がありながらも、旅館を離れざるを得ない諸事情が起こったというわけですね。

村上:はい。平成7年に築30数年経った施設の建て替えの為、二十数億をかけて設備投資をし順風満帆でしたが、祖父の他界後まもなく代表権が父から叔父へ変更されてしまったのです。代表者が変われば経営方針が変わるのは当たり前なのですが、家内も私も叔父の経営方針に納得ができませんでした。代表権が無くなった父や取締役を解任させられた母が旅館から退き、それまで大切にしていた価値観とまるで違う営業スタイルになってしまったため、家内と私は自ら旅館を離れることを決めたのです。

塩川:旅館業の道が不意に絶たれて、それからどうされたのですか?

村上:一族の中での出来事に非常にショックを受け、1年間は何かするという気力もなく、悪い事をした訳でも無いのに外出するにも帽子を深く被り廻りの人の目線を気にするような状態でした。しかし、家族を養うために少なくとも仕事をしなければいけません。それで当時自分が持っていたもの、お金やキャリア、人との繋がりなどを棚卸しした上で、パソコントレーニングの講師や職業訓練校の講師を平成10年からさせていただくようになりました。

塩川:そこから「落合楼」と出会い、現在の「落合楼村上」に至るきっかけが訪れるわけですね。

村上:普通ならばありえないことです。もう旅館業からは身を引いているわけですし、何より、伊東の旅館を建て替える時に受けた融資に対し連帯保証が残ったままでした。叔父が代表者となった旅館に万一のことがあったら自己破産するしかないという覚悟で辞職していました。ところが、旅館から離れて2年ほど経ったとき、代表者となった叔父が連帯保証に加わるタイミングで、部外者である私の連帯保証を求めないという金融機関の意思決定があったのです。

塩川:社会的に連帯保証をしなければならない立場から解放され、再び旅館業を志すチャンスが訪れたのですね。

落合楼村上

村上:数十億もの連帯保証から解放していただいたのが平成10年頃でした。その後、パソコンサポート会社を法人登記し、ようやく事業も軌道にのってきた平成14年に再び旅館業を志すチャンスが訪れます。連帯保証の他諸々の事でお世話になった金融機関の方から3年ぶりに突然電話があり、久しぶりの再会を果たしました。その際「奥さんは今、何をやっているのか?」「旅館業にまだ興味はあるか?」「奥さんは女将さんをやる気はないか?」等と晴天の霹靂のお話を頂いたのです。その案件が落合楼だったのですが、単純に試算した際に事業性が一切見込めなかったので、私はまず無理だと思い消極的でした。ただ当時、金融機関側からも経済合理性はしばらく横に置いておいて、といった話をされてのスタートでしたので、もともとダメ元というところからの始まりでしたね。

塩川:「落合楼」の話が持ち上がったとき、ご家族の皆様の反応はどのようなものだったのでしょうか。

村上:家族の中では私だけが消極的でしたが、それでも最終的に「やる」と判断したのは、恩人の方から頂いたお話しでしたので「断る」という選択肢が無かったことも理由の1つです。もう1つは、「長年旅館一筋だった両親が今は旅館から離れて『ただの人』になってしまっている。しかし、再び旅館をやり始めることで『旅館の関係者』として最期を迎えられる可能性が今ここにあるならダメ元でもやりたい」と家内に言われたのがきっかけで「落合楼村上」を立ち上げるに至ったのですが、実は平成12年にパソコンサポート会社を法人登記したとき、家族と相談していつでも旅館ができるようにと、定款にそうした条項を設けていました。そこで、このパソコンサポート会社を受け皿として旧落合楼の資産をすべて受け継ぐスキームができたのです。

落合楼村上
落合楼村上 主人 村上昇男

落合楼村上 主人

村上昇男

1964年、静岡県出身。大学卒業後、電機系の会社へ入社。1992年に伊東温泉の旅館を受け継いだのち、1998年にフリーランスに転向し、パソコントレーニングの講師や職業訓練校の講師を務める。その後、2002年に「落合楼村上」を開業し現在に至る。